はじめて写経をしました。
祖母の供養のために般若心経を写経したのです。
写経というイメージから、心穏やかになるかと思いきや、
やってみて感じたことは、自分は過去や未来ばかりに意識がいき、そして邪念ばかりだなあということです。
残りあとどのくらいだなとか、やっとここまで書いたなとか、この調子なら14時には終わるなとか、、
なんだかただ書くだけの作業になっていたり、終わらせることばかりに気持ちがあったりと
心を込めて写すという時間は少なかったように感じます。
途中で猫たちの妨害も加わり、しまいに膝にうずくまった猫を抱いたまま書き写すことになり
姿勢がキツく、やや急ぎ足で写したことも要因なのですが、自分自身の煩悩さを痛感した体験となりました。
そういう意味では、煩悩を探求し、受け入れ、そして悟りを目指すという仏教体験だったのかもしれません。
除夜の鐘で撞く108の鐘は、108の煩悩を滅するためといいますが、108もあるのだから、そう簡単に煩悩がなくせるわけありません。
どちらかといえば、そんな煩悩さのある自分を受け入れることが大切なのでしょう。。
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