私は私ことをする。
そして、あなたはあなたのことをする。
私は、あなたの期待に添うためにこの世に存在しているのではない。
そして、あなたも私の期待に添うためにこの世に存在しているのではない。
あなたはあなた、私は私。
もし、私たちがお互いに出会うのなら、それは素晴しいことである。
もし出会わなければ、それはそれで仕方がないことである。
「ゲシュタルトの祈り」(F・Sパールズ)
ゲシュタルトに出会った最初の衝撃でした。
涙が止まらなかったなぁー
たぶん、10年くらい前のことだと思う。
そして、「パールズを超えて」という文章に最近、出会いました。
”私は私のことをし、あなたはあなたのことをする”とパールズは言います。
けれど、それだけであるのなら、私たちの絆は、明らかに失われてしまうでしょう。
私が生きるのは、確かにあなたの期待に添うためではありません。
けれど私は、かけがえのないあなたの存在に、心から敬意を表します。
そしてまた、私もあなたから、心からの敬意を払ってもらいたいと願いします。
私たちはお互いに、心と心が触れ合った時にだけ
”私たちはここにいる”と、声をあげて言えるのです。
もし、あなたとの絆を失ったなら、私はすでに自分をなくしてしまったも同然です。
私たちの心が触れ合ったのは、偶然ではありません。
心を尽くし、思いを込めて、お互いに求め合ったからこそ通い合ったのです。
何もしないで、ただ事の流れに自分を任せただけではないのです。
心の内に期待したからこそ、心が触れ合うまでに至ったのです。
そうです、事が起こるのは、私が思い立つからです。
そして、私の思い立ちだけで、足りるものではありません。
真理が現れ始めるのは、私とあなたが共にある時なのです。
と、タブスは言います。
お互いに出会う(心が触れ合う)こと
そして、お互いが共にある時、真理が現れ始める。
そしてまた、出会わない(心が触れ合わない)こと
それもまた、真理なのだということ
一人の人として生きるということは、そういう事なんだと
改めて深く感じました。
他者や環境からのサポートに依存しないで、一人の人として自分の内側の力を見いだし、自己実現していく、今、ここをいきいきと生きていくこと。
原点に戻って、成長していこう。