2014年6月26日木曜日

滞り。から考察したら、長くなりました。。

誰か(何か)を否定したくなったり
責めたくなったり
批判したくなったり

例えば、食べようと思っていたものを食べられちゃった、という些細なことから
(些細なことではないかも、ですが)
仕事のミス、ドタキャン、失恋、離婚、事業の失敗、犯罪や事故、災害など、命に関わる重要なことまで。

生きていたら、うまくいかないこと、自分の望むような結果が得られないことは多々あります。

練習しても上手にならないとか、試合で負けるとか、発表の場で失敗する、とか。
仕事をがんばってしても、キャンセルが続いたり、上司から怒られたり、失敗したり、とか。
告白しても、振られたり、相手から逆に迷惑がられたり、無視されたり、とか。

そういうときは、外に理由や責任を求めたくなります。世の常、人の常です。。

相手が、あれが、これが、そのことが、環境が、タイミングが、景気が、と
がっかりしたり、イライラしたり、腹がたったり、します。

そして、自分を責めるパターンの強い人は、自分を責め出します。
ミスした自分、やり始めた自分、結婚した自分、事業をした自分、そんなこんなの自分、、

相手を責めるも自分を責めるも、攻撃対象が違うだけで、同じ構造です。
相手を責め、自分を責め、行ったり来たりして
そして、行き場のない想いをどこかにぶつけたくなります。

それは、何か成果に向かってチャレンジしたときの反応、自分の癖みたいなパターンです。
逃避パターンの一つと言ってもいいでしょう。
とすると、それはチャレンジしたからこその反応です。
そして、その逃避パターンが表れているということは、成長のチャンス!と言えます。

ぶつける場所はないんだと受け入れて、前を向く。
腐る気持ちを切り替えて、練習し続ける、一所懸命に仕事する、相手を想い続ける、、、

そうしたら、一所懸命に生きるあなたを誰か他の人が好きになるかもしれないし
仕事で認められて抜擢されることがあるかもしれない。

食べようとおもっていたものを楽しみに帰ったら、食べられちゃった。
(家族が多い人は一度くらいは体験している幼少体験でしょう)
いくら食べた相手を責めても、とっておいた自分を責めても、食べられた物はかえってこない。
食べた相手をおいしく食べてよかったねーと思いやる、ことまで達観する必要はないかもだが、
ふてくされ続けても、自分が一番気分が悪い自分と一緒にい続けるだけ。

裏切られた相手を恨み続けても、恨み辛みの気持ちを感じている自分で生きているのは、自分。
相手の裏切り行為がいくら劣悪で、周りからも批判されるようなことだとしても、
その怨みを保ち続けて、苦しいのは自分。

まー、自分を大切にするのであれば、そんな怨念は捨てて、身軽に生きればいいと言うのは簡単ですが
人はそんなに簡単に自分を自由にはしないんです。

それはなぜでしょう。



簡単に言えば、自分をほんとうに大切にしたり、自由に生きる生き方に慣れていないんです。
だから、相手や周り、自分を責めているほうが慣れていて、楽なんです。
知らない自由な生き方で生きるよりは。


どんな生き方も自分で選んで、生きるだけ。

葛藤に向き合うことも、逃避することも、越えることも、自由です。
そして、自分はどう生きたいのか。


長文になりました。。

自分にとって、かなーり滞ることがあったので、何にそんなに嫌なのかを感じてみたら、
まー、そんなことなのです。自分が葛藤に向き合って越えることを避けて、現状維持を望んでいるんだなと。
現状維持を望んでいるのであれば、逃避していたらダメなんですよね。
向かって越えてこそ、やっと現状も維持する。
チャレンジするって、変化を生み出すようなことも含まれるけれど、
変化しないようにすることもチャレンジが必要なんだよなー

あっ、なんか独り言みたいに、なってきました。これで終わり。
自分をセンタリングしよう♪

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